Episodio 59 ボローニャの二つの「死せるキリストの哀悼」

いらっしゃいませ、Mia Preferitaです。
まだ4月に入ったばかりだというのに、ヒラヒラと桜は舞い始めています。

☆ ボローニャに住む女の子だった!?!?

時々催事で一緒になるAさんのお話。
(あ、彼女には、書かせてね~と許可は頂いてます😊)
そんな彼女、前世占いをしてもらったところ、
ボローニャに住む女の子だったというのです。
前世に生きた街をみたいと彼女はボローニャを訪ねました。
占いの話を辿っていくと、とある教会に行きついたそうです。
何だか、ここ、知っているような・・・
と中に入ると、初めて来たのに、懐かしくて温かくて
ぶわっと涙が出てきて止まらなかったのだそうです。

「どこの教会?」
「名前は分からない💦
分かりにくい所にあった。たしか奥に彫刻があって・・・」
「もしかして、サンペトロニオ教会のある広場から少し入ったところの?」
こんなこんなで・・・と説明してみると
「そう!!」
偶然ってあるのだなぁ、とつくづく思いました。

☆ S.MARIA DELLA VITA(サンタ・マリア・デッラ・ヴィータ教会)

 サンペトロニオ教会のあるマッジョーレ広場

マッジョーレ広場にあるサンペトロニオ教会に向かって左手の
Via Clavatureを入って少し行ったところに
とても分かりにくい入り口があります。
気を付けていないと通り過ぎてしまうかも。

扉の上に
S.MARIA DELLA VITA(サンタ・マリア・デッラ・ヴィータ教会)
とあります。
中に入ってみましよう。

丁度クーポラの内側にあたるところに、白地の美しい彫刻があります。
そして祭壇を守るかのように古代の巫女的存在のSibille(シビッレ)。
主祭壇の聖母子像を見ていると、心穏やかになってきます。
   
さて、この教会にはとても素晴らしい彫刻群があります。
あまりにもリアルなので苦手な方もおられるとか・・・
そんなことを聞いてしまって残念なことに観ずに帰ったのです。後悔😢

☆ 「死せるキリストの哀悼」

イエス・キリストが十字架上で死に、その十字架から遺体を降ろし、
死を確認したところの場面です。
(ヨハネによる福音書18章を参照されると良いかと思います)

今にも動き出しそうな、張り裂けんばかりの声が聞こえてきそうな
このテラコッタの彫刻群は、
ボローニャのニッコロ・デルッカ(1463年)の作品です。

*************************
十字架から地面に降ろされてもう硬直の始まっているキリスト。
その横で身をよじりながら悲しむ聖母マリア、
その顔は苦悩にゆがみ、
大きく開かれた口からは
今にも腸(はらわた)の千切れる音が聞こえてきそうです。
そして右端に急を聞いて駆けつけてきたマグダラのマリアがいる。
駆けつけてきた勢いが
横になびく頭巾や着衣にみごとにあらわれています。
井上ひさし著 「ボローニャ紀行」大きな広場より
*************************

☆ もう一つの「死せるキリストの哀悼」


実はもう一か所、
インディペンデンツァ通りにあるサンピエトロ教会にも
「死せるキリストの哀悼」の彫刻群があります。
何も知らずに入り、
「なんか、すごいのがある!」
と知らずに観ていたのですね・・・

こちらは、アルフォンソ・ロンバルディ(1522年)の作品。
同じシーンですが、少し違う。
悲しみで崩れ落ちそうな聖母マリアが婦人たち(他のマリア達)に支えられ、
イエス・キリストの死を受け入れようとしている母の姿。
母の悲しみがひしひしと伝わってきます😢

テラコッタの二つの「死せるキリストの哀悼」
書いてるうちに日付は変わり(聖金曜日の遅くに書いていました💦)

この写真は初めてのサレルノで出会った行列。
かなりリアルで、驚きました。
今から思えば「聖金曜日」のキリストの行列だったのですね・・・

明日は復活祭です。

 

末筆となりましたが・・・
コロナ禍の深刻な状況が
一日も早く改善されますように
まだまだ戦いは続きます。
今は不自由でも、希望の灯は決して消さないように!
今は不自由でも、笑顔を忘れないように!
だって「笑う門には福来る」って言うではないですか (・∀・)
また災害で大変な思いをされている皆様には
心からお見舞い申し上げます。
すぐに過ぎ去る春を楽しみましょう。
どうぞご体調崩されませんように!!

Ci vediamo!!

 

Instagramはこちらから