いらっしゃいませ、Mia Preferita です。
広島は以前にも何度か訪れていますが、街中を散策することもなく、
催事が終了するとそそくさと帰っていました。
今秋2回訪れた広島、百貨店の開店時間が10:30とゆっくりだったので、
朝の散策に出かけてみました。
* カトリック幟町教会 世界平和記念堂
今回宿泊したホテルから程近く、また百貨店からも近い所にあります。
昨秋11月、丁度1年前になります・・・フランシスコ教皇が来日され、
広島にも立ち寄られたことは記憶に新しいのではないでしょうか。
難しい漢字ですね・・・幟町(のぼりまち)、読めませんでした。
幟町教会は、世界で最初に被爆した広島に、
平和のシンボルとして献堂されたカトリック教会なのだとか・・・
当時の司祭が
「原爆の犠牲となられた人々の追憶と慰霊のため、
全世界の友情と平和のシンボルとして」
と発案されました。
世界各地より真に平和を願う人々の発願と寄付により
着工、建設され、
「世界平和記念堂」
と名付けられました。
1981年ヨハネ・パウロ二世(前々の教皇様ですね)が来日された折、
平和記念公園で「平和アピール」を発表されたことを記念し、
聖堂前にはヨハネ・パウロ二世の胸像と碑文があります。
碑文には平和アピールの中から選ばれた一節が刻まれています。
『戦争は人間のしわざです
戦争は人間の命を奪います
戦争は死そのものです
過去を振り返ることは将来に対する責任を担うことです
ヒロシマを考えることは核戦争を拒否することです
ヒロシマを考えることは平和に対しての責任を取ることです』
聖堂も中々素晴らしい建築物です。
中に入ると・・・
十字架ではなく、何ともモダンなモザイクのキリスト
中央の通路には「信」「義」「愛」の教えの文字。
ファティマの聖母像(複製)もあります。
二階には由緒のありそうなパイプオルガンが。
教会は、いわゆる観光地ではありませんが、
建築、彫刻等々美術の宝庫でもありますし、
荘厳なパイプオルガンの音色を耳にすることもできます。
心静かに自分と向き合える場所でもあります。
幟町教会、お勧めです!
* 広島城へ
ホテルからテクテク歩くこと10分位??
まず見えてきたのが、お堀と太鼓櫓。
そして多門櫓、平櫓を右手に見つつ、表御門の方へと回ります。
「大菊花展」が開催中でした。
今はもう無くなってしまいましたが、枚方の菊人形を懐かしく思い出しました。
特作花壇ではスズメたちの憩いの場になっているのか、
近づくと一斉に飛び立っていきました。
天守閣は何処に・・・取り敢えず、目指せ天守閣!!
見えてきた! 天守閣
豊臣秀吉の五大老の一人、毛利輝元が築城。
原爆によって倒壊してしまいましたが、広島復興のシンボルとして
天守閣の外観が復元されました。
さほど高さはない天守閣だなぁという印象。
時間の都合で登らずに、暫し眺めを堪能し来た道を戻ることに・・・
ここには「クロガネモチ」「マルバヤナギ」「ユーカリ」の
3本の被爆樹木が残っています。
添木がされていて、痛々しい姿です。
ユーカリに新しい芽が出ていました。一生懸命に生きているんですね。
戦後75年経ちましたが、「物言わぬ語り部」としてそこに在って欲しいと思いました。
* 鯉の町
さてさて、広島と言えば、カープ、鯉ですね。
至る所で鯉を見かけます。
お堀の鯉にモニュメント、街路のタイルetc etc
そして広島城は「鯉城(りじょう)」とも呼ばれているそうな・・・
その昔、お城があった一帯は「己斐浦(こひのうら)」と呼ばれており、
「己斐」の音が「鯉」に通じることから地名とされた、とも言われています。
また、お堀にたくさんの鯉がいたから・・・とも。
鯉の町 広場は悲しいかな原爆投下された唯二の町です。
今の姿からは想像もつきませんが、
間違いなく被爆の姿は原爆ドーム、被爆樹木、幟町教会に見ることができます。
日々何事もなく平々凡々と暮らしていて、まさに平和ボケしてしまっている。
原爆投下の日は行事と化してしまっている・・・
プチ散策を通して、
夏だけでなく「ヒロシマを考える」よい機会を得たと思っています。
随分と冷え込んできました。
七十二候でいう「地始凍(ち はじめてこおる)」の時期に入っています。
大地が凍り始める頃、霜柱の立つ頃。
季節は冬へと移ろいでいます。
末筆となりましたが・・・
コロナ禍の第3波、
まだまだ戦いは続きます。
また九州豪雨や災害で大変な思いをされている皆様には
心からお見舞い申し上げます。
立冬も過ぎ暦の上では冬、
どうぞご体調崩されませんように!!
BLOG更新は・・・
22日の更新を目指していますが、遅れることもあります。
ご了承くださいませ。
Ci vediamo!!
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