いらっしゃいませ、Mia Preferita です。
暑さが和らぐ、「処暑」の頃となりましたが・・・
暑いです💦
今回は陶器のお話ではなく、ローマ、カラヴァッジョ、教会のお話しを。
一部忘備録的な所もありますがお許しください。
2020年2月、コロナ禍でまだ外出が不自由でなかった時、
「カラヴァッジョ展」(あべのハルカス美術館にて)を観に行きました。
お目当ては逃亡中に描いたという「法悦のマグダラのマリア」
マグダラのマリアに自らを投影し、自分の犯した罪の赦しを請うたのか・・・
(2月16日付 インスタグラム投稿)
短い生涯に描かれた彼の作品は依頼主が教会関係者でもあったことから、
美術館で鑑賞出来る数は少ないのです。
1 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ
カラヴァッジョはミラノ近郊で生まれ、ミラノでの短期間の修行の後ローマへ。
文芸保護者だったデル・モンテ枢機卿の計らいで
ローマの美術家の仲間入りをしました。24歳の頃でした。
ところが、作品を描いては町で暴力沙汰を起こし、
ついには殺人の罪でナポリ、シチリア、マルタへと逃亡。
その間も作品は描き続け、
失意の中、トスカーナの港町ポルト・エルコレで絶命しました。。
38年の短い生涯を破天荒に駆け抜けていった画家でした。
光と影、劇的な画面構成、迫真のリアリズム・・・
「光と影の画家」と称されたカラヴァッジョは、
現実的な絵画表現を確立した革命的な画家だったのです。
2 ローマの街とカラヴァッジョ
そんな破天荒な生涯を送ったカラヴァッジョの作品の多くは、
ローマの街に残っています。
ヴァチカン美術館には「キリスト磔刑」
ボルケーゼ美術館には「馬丁の聖母」「ゴリアテの頭を持つダヴィデ」など。
そして街の教会にも・・・
どんなシーンを描いたのか、ザックリと、また私の覚書として、
実際にカラヴァッジョの作品に会いに行った教会と共に紹介していきます。
3 サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会
San Luigi dei Francesi
ナヴォーナ広場からほど近いサン・ルイージ・デイ・フランチェージ広場に建っています。
ここはフランスの守護聖人サン・ルイを祀っている教会です。
「聖マタイの三部作」
カラヴァッジョの若き日の最高傑作があり、
バロック絵画発祥の地と呼ばれる教会でもあるのです。
お目当ての作品は、左側の5番目(一番奥)のコンタレッリ礼拝堂にあります。
礼拝堂の横にはコインを入れる箱があります。
コインを入れると金額に応じた時間ライトが点灯されます。
強い光による絵の痛みを保護するための意味もあるのかと思います。
ほとんどの参拝者のお目当てであろうカラヴァッジョの作品の前には
たくさんの人だかりです。
ライトが消えると一瞬にして辺りは仄暗くなり人は散っていきます。
・・・コトン、とコインを入れ一番よく見える場所へ。
ライトが点灯すると光の下へと人が集まってきます。
カラヴァッジョがローマで最初に手掛けた大きな公的な仕事。
後に「聖マタイの三部作」となる
「聖マタイの召し出し」「聖マタイと天使」「聖マタイの殉教」
聖マタイとは、イエス・キリストの12使徒の一人で、弟子になる前は徴税人でした。
3-1 「聖マタイの召し出し」=驚愕 (祭壇に向かって左側)
カラヴァッジョの代表作とも言える作品。
イエス・キリストに「私についてきなさい」とマタイを召し出すシーン。
★このエピソードは新約聖書の
マタイ福音書 9章9~13節 マルコ福音書 2章13~17節 ルカ福音書 5章27~32節
にあります。
マタイが召し出されたこの時代のローマ帝国では、
徴税人は人々から忌み嫌われている職業でした。
この徴税人のマタイを見つめ手を伸ばすイエスと、聖ペテロの後方から射し込む一条の光は、
「神」による救済の象徴として描かれています。
3-2 「聖マタイと天使」=神聖 (祭壇に向かって中央)
中央祭壇画として描かれました。
福音書を執筆中に天から舞い降りた天使に驚きの目を向けているシーン。
⋆注)聖マタイは「マタイの福音書」を書いた作者とされています。
が・・・諸説あります・・・
渦を巻くような天使の衣服の表現が暗闇の中に浮かび上がって、
深い精神性と聖性を表現していると言われています。
3-3 「聖マタイの殉教」=恐怖 (祭壇に向かって右側)
槍で刺し貫かれる!という瞬間。
死んでしまう、という恐怖以外がヒシヒシと伝わってきます。
でも、聖マタイの殉教のお話は聞いたことがないので、
どのようなエピソードがあるのか・・・寄り道しますね。
殉教の話は聖書には書かれていません。
13世紀にヤコブス・デ・ヴォラギネというジェノバの司教が書いた
聖人列伝である「黄金伝説」に書かれてあります。
★ 黄金伝説より ★
マタイは、イエス受難後エチオピアに渡り、そこで33年間もの間布教活動に尽くしました。
改宗した者の中には、王様の娘イフィジェニアとお付きの処女200人も含まれていました。
イフィジェニアは、単にキリスト教に改宗しただけではなく、
「神に捧げられた」、つまり、現代風に言えば修道女の様な立場となりました。
「神に捧げられた女性」は、当然、生涯独身を貫かねばなりません。
しかし、その後、異教徒の王様ヒルタキュスが王座についた時、
彼は、前国王の娘イフィジェニアに恋をして、結婚を望みました。
そして、聖マタイに、イフィジェニアとの結婚を認めるように迫ったのです。
そこで聖マタイは、ヒルタキュスに、前国王と同様に、日曜日のミサに来るように言いました。
ヒルタキュスは、当然、結婚が認められるものと勘違いして、大喜びで教会にやってきました。
しかし、聖マタイは、ヒルタキュス、イフィジェニア、その他多くの信者たちの前で、
このように演説したのです。
「あなたはイフィジェニアが永遠の王の妻になったことを知っているはずです。
そして彼女は、聖なるヴェール(尼になったという意味)によって捧げられたのです。
それにもかかわらず、あなたより、はるかに強い女性を妻として娶り、
結婚によって結ばれようというのか。」
と戒めました。
これに怒ったヒルタキュスは、ミサの後、教会に刺客を送って、
祭壇の前で、両手を広げて祈っていた聖マタイを背後から襲って暗殺してしまいました。
聖マタイが暗殺されたことを知った民衆は、王宮に押し寄せて火を放ちました。
その後もヒルタキュスは求婚し続けたのですが、
イフィジェニアの信仰は揺らぐことなく、
とうとう彼女は家を放火されて、お付きの処女たちと共に焼き殺されてしまいました。
今まさに槍で刺し貫かれる!という瞬間、
天使が殉教のシンボルである棕櫚の葉を渡そうとしています。
次回もローマの街の教会にあるカラヴァッジョの作品を訪ねてみましょう。
末筆となりましたが
一日も早くコロナウイルスが終息しますように。
まだまだ油断禁物です。
九州豪雨で大変な思いをされている皆様には
心からお見舞い申し上げます。
どうぞ熱中症に気を付けてお過ごし下さい。
季節がら、皆様どうぞお気を付けてお過ごしくださいませ。
Ci vediamo!!
次の掲載(後編)は早めに掲載予定ですが、都合により遅れることもあります。ご了承ください。
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